2014年、元総務相の増田寛也を座長とする日本創成会議が発表した「消滅可能性都市」レポートは、全国の約半数の自治体が将来的に消滅する可能性があると指摘して大きな衝撃を与えた。それから10年以上が経過し、指摘された自治体のほとんどは、まだ「消滅」していない。人口は確かに減り続けているが、集落としての機能は形を変えて続いている。統計上の予測と、現場で起きていることのあいだには、興味深いズレがある。
「消滅」という言葉の解像度
日本創成会議レポートの中心的な指標は、「若年女性人口(20〜39歳の女性人口)が2010年から2040年にかけて50%以上減少すると推計される自治体」だった。この指標は人口再生産能力に着目したもので、統計学的には合理的だが、「消滅」という訳語は、集落がなくなることを直ちに意味するわけではない。
英国シェフィールド大学の日本研究者ピーター・マタンルが2011年にアンソニー・ラウシュと共編した『Japan’s Shrinking Regions in the 21st Century』は、この区別を早い段階で明確化した研究書である。マタンルらは「shrinking」と「vanishing」を区別し、日本の地方で起きているのは前者——人口と機能の縮小——であって、後者——完全消失——ではない、と論じた。多くの集落は、規模を縮小しながらも持続している。
高齢化40%超でも続く祭り
総務省の過疎対策関連資料を読むと、過疎指定地域のなかには高齢化率40%を超える集落が相当数ある。人口30人、50人規模の集落も珍しくない。そのうえ、総人口に占める若年層の比率は極端に低い。この条件だけを見れば、集落の社会機能は崩壊しているはずである。
ところが、実際に地域調査を行った研究者が繰り返し報告しているのは、こうした集落の祭りや年中行事の参加率が、都市部の住民の地域行事参加率より高いケースがしばしばある、という事実である。参加者の絶対数は少ないが、集落住民全体に占める参加率は高い。都市部の新興住宅地で町内会の夏祭りの参加率が住民の数%に留まることと比較すると、明確な違いである。
誰が参加しているのか
この高い参加率を支えているのが、実は集落の現住民だけではないという構造を理解することが重要だ。過疎地の祭りに出てくる「若い担い手」の多くは、その集落から都市部に出て働いている出身者、あるいはその子孫である。盆・正月・祭りのタイミングに合わせて帰省し、数日間だけ地域行事に参加する——この形の関与が、多くの集落で中核的な役割を担うようになっている。
総務省が提唱してきた「関係人口」という概念は、このような準住民的な関与を政策的に捉え直す試みだった。定住人口でも交流人口(単なる観光客) でもない、地域に継続的に関わり続ける中間的存在。関係人口として数えられる人々の多くは、その土地の出身者か、強い関心を持った外部者だ。この人々が、人口統計の上では住民に数えられないまま、集落の機能維持に貢献している。
コンパクトシティと集落統合
国土交通省の国土政策関連資料では、「コンパクトシティ」「集落ネットワーク圏」といった概念が継続的に提示されてきた。過疎地の機能を一点に集中させるのではなく、拠点集落と周辺集落を交通と情報で結びつけて、ゆるやかに一体の生活圏として維持する発想である。これは実務的にはかなり具体的な政策で、デマンド交通、集落支援員、地域運営組織といった仕組みの形で各地に広がっている。
ただし、この政策の効果については、現場ではさまざまな評価がある。一部では確かに集落機能の維持に寄与しているが、他の地域では行政コストを増やすだけで実効性に乏しい、という報告もある。日本の過疎対策は、試行錯誤の段階を抜け出せていないと言ったほうが正確だろう。
イタリアの borghi との比較
国際比較として、イタリアの「I Borghi più belli d’Italia(イタリアの最も美しい村)」ネットワークが参照されることがある。これは人口減と高齢化に悩む小さな村々が、「美しい村」としての認定を受けることで観光資源化し、部分的な移住者流入も実現する仕組みである。認定村は2024年時点で300を超える。
日本版「美しい村連合」(NPO法人美しい村連合) も類似の発想で2005年に発足しているが、イタリアと比べると認知度も認定数もはるかに小さい。理由はいくつかあるが、ひとつには、日本の集落には石造りの中世村落のような「保存に適した物理的景観」が少ないことが挙げられる。木造の家屋は定期的な修繕が前提で、無人になれば短期間で朽ちる。景観保存モデルをそのまま移植するのは難しい。
編集部の見方
過疎地をめぐる議論は、「消滅するか、しないか」の二項対立で語られすぎている気がする。現実は、多くの集落が規模を縮小し、機能を再編成しながら、以前とは違う姿で続いている——という連続的なプロセスだ。この再編を「失敗した都市」と見るか、「別種の居住形態への移行」と見るかで、政策の設計も現場の士気も変わってくる。
祭りが続いていることは、その再編が完全な崩壊ではないことを示す指標のひとつだ。数十人しか住んでいない集落で、数百年続く神事が担い手を変えながら続いているとき、それは「衰退」の一言で片付けられる現象ではない。祭りが果たす機能の変質については祭りは地域をつなぐ装置か、観光資源か——過疎化時代の民俗行事で、より具体的な事例を扱っている。過疎と労働時間の減少の両方が絡む地方の生活時間については「働き方改革」から7年——データで見る日本の労働時間と合わせて読むと、都市と地方の対比が立体的に見える。